親切なミャンマー人におごってもらった話
ミンガラーバー! naruです。
さてヒロさんが先生をしている間、私は次の国インドとの戦いに備えて英気を養うべく(?)宿でのんびりしてたのですが、雨季の晴れ間を狙ってふらふらお散歩にも出かけたりしてました。
観光するとお金がかかるため基本歩きです。ローカルバスなら数十円で乗れるそうですが、行き先も数字も視力検査のようなミャンマー語表記なので、なんとなく乗るにはレベルが高い!(↓これ!)
話によるとミャンマー人は親切だから目的地を聞きさえすればちゃんと教えてくれるらしいけど、チャレンジャーになりきれない私。
その代わりに全然観光地感はない、むしろ生活感しかない景色を楽しみながらてくてく歩いてショッピングセンターへ。アンコールワットの遺跡めぐりで薄手のはおれるシャツの必要性をつくづく感じていたので、この後のバガン遺跡に備えるのです!
前日Google先生に教えてもらって行ったショッピングセンターは遠かったわりに規模が小さくてお目当てのものは見つからなかったので、今日は宿のお兄さんにオススメしてもらった“Ocean”というお店へ。
赤いピンのところ!
それでも日本に比べたら規模は小さいですが、食品フロアと衣料品・生活雑貨フロアをそなえた便利なスーパーでした。
ちなみに先日食べて美味しかったミャンマーのお豆腐は、こんな形状で売っています。四角くない! 最初見たときは何かと思いました(笑)。
食料品売場を見物したら、目的の衣料品売場へ。
“New Generation”と掲げてユニセックスな洋服なども売っていましたが、ごく少数。
まだまだ伝統的なファッションへの支持が強く、ロングスカートやそれに合わせるミャンマーブラウスのほうが、かなりデザイン豊富でした!
服のカタチはみんな同じでも、どんな柄を合わせるかであれこれ悩む。そんな女性たちの姿は万国共通。試着室もあってみんな色々試してました♪
お買い物も一段落して、スーパーにあったベーカリーカフェでお昼でもと……思い席を探していると、突然近くにいたミャンマー人が「ここへ座れ!」と強烈に誘ってくるではないですか。それどころか「どれでも好きなものを選びなさい」とおっしゃる。しかも日本語で!
ちょっと強引なくらいのお誘いに一瞬「えっ?!」と怯んだものの、なんだかこの人、見覚えがあるような気も……と少し考えて思い出しました。
あ! わかった!
この人、今朝も会ったミャンマー人のおじさんだ!
ヒロさんと歩いていた時に、うしろからフラフラっと近づいてきて話しかけてきた、クロスバイクに乗った日本語を話すおじさん。朝からバイクで運動なんて、ミャンマーにしてはおしゃれな生活する人だなあなんて思っていたのですが、まさかその方とスーパーで再会するなんて(笑)。
おじさんの名前はキョウさん。めちゃくちゃ優しそうなお兄さんのミンさんと、そのお孫さんと3人でお昼を食べにきていたみたいでした。家族と過ごすおじさんは朝とはまた違う表情で、ほのぼのとした雰囲気。
キョウさんと、お兄さんのお孫さん6歳! 名前忘れちゃった。前歯が虫歯だらけ(笑)。
おじさん2人、特にお兄さんのお孫さんを見る目の本当に優しいこと。
このちびっ子もシャイだけど、かわいい手で握手してくれました(*´∀`*)
実は朝会った時は日本語しゃべれるちょっとあやしい人なのでは……とも思ってたのですが……。ごめんなさい……。
キョウさんは24歳で造船会社に勤めて日本へ行き、そのあとも群馬の食品工場に8年ほどいたのだとか。日本語ができるのはそのため。山の方で両親は下水工事の仕事をしていたけれど、海外に出たくてヤンゴンに出てきてしまったのだそうです。けれど、35年前のミャンマーは軍政の時代真っ只中の鎖国状態。キョウさん曰く「北朝鮮みたい」で、海外に出るには船の仕事に就くしかなかったのだそうです。
「日本はしあわせな国」と何度も言っていたキョウさん。
でも「ミャンマーは変わった」とも言っていました。
今は外国人と話しても何も言われない。外国語を勉強してもいい。それさえも厳しく監視されていたという昔は、みんなビクビクしていたといいます。
「今のミャンマーはしあわせです」
その言葉が印象的でした。めまぐるしく変わっているというミャンマー。旅行前から、ミャンマーを旅する色々な人のブログで「ミャンマー人はやさしい」「すごくいい国」と書かれているのを見ていたけれど、それ以前に私が持っていたミャンマーの印象は2007年に長井健司さんというジャーナリストの方がデモを取材中に軍に狙われて命を落とした事件。でもたしかに私が訪れたミャンマーは、事件が起きたとされるパゴダ近くでさえ平和そのもの。近くにはきれいな公園が整備されて、ほんの数年前にそんなことが起こったとは思えないほど人の往来が多く賑やかでした。
住む人が「しあわせ」と言える方向へ進んでいるのなら。
この激動の国で、より多くの人が豊かになる日も遠くはないのかもしれません。
そして「しあわせな国」と言ってもらえる日本のいいところを、私たちは大事にしなければ!
一転、家族の話になった時には「この子の両親は離婚したから兄が面倒みてる」ってサラッと言われてびっくりしました。日本語で話してたからこの子には分からないけど、目の前だったので何となく気まずい。ミャンマーでもあるんだなあ。言われてみれば当たり前かあ。
ちなみに、このあとカフェ内で女友達同士で相談事をしていたらしき女性が号泣しだすという事件もあり……。本当、ミャンマーの人も日本と同じように、いろいろ大変なことも多いようです。
女性の号泣により居心地が悪くなったのか(笑)、「そろそろ帰ろうかね」と促されて、ひとしきり話したあとは車でヒロさんの仕事場まで送ってもらってしまいました。至れり尽くせり。
ソーセージパンとアップルジュースをご馳走してくれて、なおかつ色々なお話を私に聞かせてくれたキョウさん。そして言葉は分からなくても伝わってくるお兄さんの温厚さと、お孫さんの可愛らしさ。彼らにとっては自然なことだったのかもしれないけど、私はこの上ないおもてなし受けた気持ちで、車が見えなくなるまで手を振っていたのでした。
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- 日本人、風呂の入り方を教わる。
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- ヤンゴンで1週間ミャンマー人の先生をしてみて