食べられるって、しあわせ。
スラマッ トゥンガハリ! naruです。
ラマダン真っ最中のマレーシア、季節はもちろん夏なので暑い!
日の出前や日没後は飲食OKとはいえ、「こんな季節に飲むことも禁じているなんて厳しい〜!」と思っていたのですが、ラマダンは毎年少しずつ時期がずれて、33年で季節が一巡するんだそう。いまが、たまたま夏の時期なだけ。そもそも私は「ラマダン」を断食という行為自体のことだと勘違いしていたのですが、ラマダンはヒジュラ暦上の「月」の名前なんだって。
断食は異教徒に強いるものではないので、私たちは食べても大丈夫なのですが、ムスリムの集まるマレー料理店ではなんとなーく食べづらい雰囲気……。
本当に日没まで食べないの?
せっかくなので、日没までの様子を観察してみることにしました。
18:45(日没まで約30分)
地元の人が集うナイトマーケットにて。
まだ人がまばらな飲食店のテーブルに、新聞紙にくるまれて置かれている何か。これは、1日何も入れていない胃にやさしい食べ物らしい(中身が何なのかは不明なままでした……)。食べずに下げてたテーブルも多かったけど。日没後、断食を破る食事のことを「イフタール」と呼びます。
19:10(日没まで約5分)
あれ!?
ごはん取りに行ってる人がいる……。た、食べちゃうの??
食べちゃうのかと思いきや、注文したり料理を取ったり準備万端の体制にしたあと、ひたすら日没の時間を待つスタイルだったよう! 店のひとはせっせとサーブ! お客さんたちは談笑しながらその時を待ちます。
そして……
19:16(日没。たしかこの日はこの時間だったはず)
それまでマーケットに流れていたFMラジオらしきイケイケのBGMがぷつりと消え、ガラリと雰囲気の違うお祈りがスピーカーから流れてきました。日没の判断は、各自の時計ではなく、この放送が合図!
一気に解禁〜! 食べるぞ〜!
ゆっくり慣らすために飲み物から摂るのが良いらしいですが、そのあたりはきまりではなさそうで、左奥の男性のようにお祈りが聞こえた瞬間からガッツリいく人もいます。おなかがびっくりしないかな〜大丈夫かな〜。
お祈りは終わりまで待つ必要はありません。スタートしたら食べても大丈夫。
あっ、近くの交差点で交通整理してたおじちゃんも、いつの間にか食べてる!
(交通整理する人いなくなったけど、いいのかな?笑)
洋服屋さんも待ってましたとばかりに、店の外で家族そろってごはん。
みんな一斉に食事をはじめるため、気がついたら通りもガラ~ンとしていました。
断食って大変で辛そうなイメージだったけど、私が見たムスリムの人たちは、そんな構えるようなものではなく、とても自然なことをしているだけという様子でした。
そもそも断食は苦しい思いをするのが目的ではなく、宗教上のモラル的な意味が強いみたい。だからうっかり食べ物を口にしてしまっても許されたり、子どもや高齢者、病気の人には例外が認められるなど、けっこう融通がきくらしい。
また、断食は宗教的な意味のほかにも、食べられることに感謝する気持ちを大切にするためのものでもあるんだって。
食べられる時間を待つ楽しみや、早く食べたいっていうじれったさ。
そういう感情を思い出すことも全部含めて、ラマダンは大切な期間。
ムスリムじゃなくても、そういう体験って必要なのかもなんてちょっと思ったり。
そんなイフタールの様子を見届けたあと、私たちもごはんにありつきました☆
大好きなスイカジュース! 今日も私はしあわせです。
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